小石川日乗Hatena版

おっさんがよしなしごとを書き散らします

ゴッサム・シティ

 ふと2003年頃の古い日記を読み返していたら、感慨深いものがあった。俺ってあの頃、めちゃくちゃ仕事してたんだな。睡眠2時間で取材に行って、妙な時間に仮眠して、また原稿を書いて、夜の飲み会にも出かけて、みたいな生活の繰り返し。仕事量は今の10倍ぐらい(笑)。いわゆるバブル時代ではないが、リーマン・ショックのずっと前。カネも稼いだが、使うのも派手だった。それが今頃になってたたっている。

 そんな多忙な折に、汐留再開発で新しくなった「電通」本社を訪問したときの描写。

朝起きてから、A社のコピーをちらほら書いて、デザイナーに渡す。午後からD社の仕事で、大江戸線に乗って、汐留再開発地区の電通へ。この一帯は初めて来るが、何がどこにどうあるのか全然わからん。電通本社ビルで、ものすごいスピードのエレベーターを乗り継いで30階へ。心理的には、バットマンのゴッサム・シティのイメージ。資本主義アドバタイジング・ビジネスの悪の巣窟。その悪が社会に悪をば らまく。ま、ワシも売人の一人ではあるけれど(笑)。

 我ながら「ゴッサム・シティ」の比喩は絶妙。悪の巣窟に通う若手社員は心身ともに疲弊して、社員寮のマンションから飛び降りてしまった。きっと悪魔に身を任せることが下手だったのだろう。

中世日本の予言書

中世日本の予言書―“未来記”を読む (岩波新書)

中世日本の予言書―“未来記”を読む (岩波新書)

 興味アルアル。

 著者には下記の著作もあり、

『野馬台詩』の謎―歴史叙述としての未来記

『野馬台詩』の謎―歴史叙述としての未来記

 それを紹介するAmazonの【著者からのコメント】ではこう書いている。

中世フランスのノストラダムスが第二次世界大戦や世界の終末を予言していたという、難解な予言詩がはやったことがありました.しかし、このような予言書は、古来よりヨーロッパのみならず、アジアの中国や日本にもあったのです.日本では、聖徳太子の書いたという未来記が特に有名ですが、それよりも古く、日本の終末を予言したとされる『野馬台詩』がありました.漢字を5字ずつ24句連ねただけの短い詩ですが、この詩をめぐっていろんな解釈や物語、説話が生み出されました.本書はこの『野馬台詩』が中国から日本にどのように伝わり、どのように読まれ、どう影響を及ぼしたかを、時代ごとに追究してみたものです.

 『野馬台詩』それ自体は寓意に満ちた短い詩にすぎませんが、それを読む人が「やまと」(日本の古称)の由来を示すのだとか、天皇百代で日本は滅ぶのだとか、あれこれ注釈をつけていきました.その注釈をながめていくと、源平合戦や応仁の乱をはじめ、時代の転換にかかわる出来事が多く、日本の歴史が予言を通して語られていることが分かります.未来の予言が過去の日本の歴史を浮かびあがらせてしまう、そういう逆説的な歴史のとらえ方があったのです.歴史は教科書にみるような実証的な因果関係で書かれるものと思っている人が多いでしょうが、未来の予言を借りて歴史を説いたり書いたりする、時間を自在に行き来する方法があったのです.未来記は歴史を記述する方法が決してひとつではなく、実に豊かでさまざまにあったことを教えてくれるのです.

「未来の予言を借りて歴史を書く」というのはいったいどういうことだろうか。ずっと実証史学に慣れていて、それが当たり前だと思っていた私の頭に、この本は新しい刺激を与えてくれるかもしれない。

防空法啓発ポスター

www.digital.archives.go.jp

昭和12年4月公布された防空法は、<中略>防空業務として、灯火管制、消毒、防毒、避難、救護と、これらの実施に要する監視・通信・警報を規定し、灯火管制実施時に限り、国民に灯火を制限する義務を負わせました。防空法施行に伴い内務省に新設された防空課が、当面の課題の1つとして位置づけたのは、国民に「防空思想」を浸透させることでした。

 ワオ、これはすごいや。まるでここ数日、北のミサイルへの備えをとくとくと説くテレビワイドショーみたいだ。

 国会公文書館のページについては、早川タダノリ氏経由、大前治弁護士のTwitterで知った。

 NHKの朝ドラ「ごちそうさん」で主人公の夫(東出昌大)が逮捕されるというエピソードがあったが、これはこの防空法がらみ。防空訓練で、「空襲の火は消せない。消火せずに逃げよ」と住民の前で叫んだことが逮捕の理由だった。NHKのドラマって、当時のことをけっこうちゃんと描いているんだと、そのとき思った。詳しくはこのサイトを参考。

 大前氏には以下の著作がある。

ぬかよろこび

digital.asahi.com

 旬を迎えているタケノコが不作だ。年ごとの収穫量にばらつきがあるものだが、今季は全国的に過去に例のないほどだとの声も。ゴールデンウィークを前にタケノコ掘りを休止する観光農園もある。  

 げっ、ヤバい。たしかに先月買ったタケノコも1000円以上した。出始めだから高いのだと思ってたけど。この前ヌカをいただいたのに、茹でるべきタケノコがないとは、とんだヌカ喜び。

「東北で良かった」

www.huffingtonpost.jp

今村雅弘復興相は4月25日、東京都内の自民党二階派のパーティでの挨拶の中で、東日本大震災の人的被害、社会資本の被害について説明した中で「これはまだ東北で、あっちの方だったから良かった。これがもっと首都圏に近かったりすると、莫大なですね、甚大な被害があったと思う」と述べた。朝日新聞デジタルなどが報じた。

 この人、まだ大臣やってたの? 先の「自主避難者は自己責任」発言で十分、復興相の資質がないことが判明したはずなのに。

 だから今さらこの発言については私は目くじらは立てない。しかし言葉足らずという感はする。「まだ東北で良かった」は、私が今井氏の心中を重々忖度するに、

「東北の被害は甚大だった。あの規模の地震が首都圏で発生したとすれば、被害はさらに想像を絶するものになっていた。今後、首都圏の防災体制をさらに強化しなければなりません」

 ということを言いたかったんだろう(忖度しすぎか(笑))。

 しかし、決定的に言葉が足らない。「取り消させていただく。ご心配を加えたことを改めておわび申し上げる」という直後の撤回・謝罪の言葉も(これが報道どおりだとすれば)、おかしな日本語だ。

 「〜させていただく」という表現に、かねがね私はきわめて不遜なニュアンスを感じている。それはさておいても、「ご心配を加えた」という日本語はあまり聞かない。ここは「ご心配をおかけした」というべきだ。そもそも心配をかけたのは誰に対してか。東北の被災者か。パーティ会場に集まった自民党派閥の議員たちにか。前者だとすれば東日本大震災被災者家族の一員として私は、「心配なんてしてないよ。ただ呆れているだけだ」とだけ返したい。

 大臣の職を辞し、ついでに議員の職も辞し、今井氏には日本語の勉強を基礎からやり直していただきたい。

 はい、やり直し!

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メディアの推定有罪報道

news.yahoo.co.jp

ところが、この保護者会長の男性は逮捕されてただちに「有罪」の審判が下されてしまったかのごとき報道ぶりである。「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」という原則を無視するどころか、捜査機関より前のめりになって、この”犯人”を社会的に懲罰せんがごときである。今回に限らず大事件であればあるほど有罪推定報道に傾きがちであるが、これでは捜査活動をチェックできず、万が一違っていたときも引き返せなくなる。そうした可能性を少しは考えないのであろうか。 【千葉女児殺害】繰り返される有罪推定報道(楊井人文) - 個人 - Yahoo!ニュース

 被害者が外国籍でかつ可愛らしい女子児童であったことも報道に拍車をかけたんじゃないかな。しかも、ベトナムからやってきた一家だし。「よそ様に対して、みっともないことをするな」という意識はまだ日本人の中に根強く、ときにはそのエートスが外国人に対するヘイトスピーチを抑制する方向に働くこともある。もちろん、こうした同情論で動く限り、それは逆のベクトルに向かうことも少なくないのだが…。

 もしこの事件の容疑者が在日外国人あるいはベトナムの同族の人であったら、メディアや読者の関心はここまでヒートアップはしなかったのでないか、という気もする。

 いわば「恥の文化」が、警察とメディアと読者を駆り立てている。ステレオタイプに習慣化された、いかにも日本人的な、いっときの感情的な高ぶりが、報道の暴走を容認している。そもそも、マスメディアとは「真実を報道する」ということ以前に、こうした国民的資質の上に立って、人々の感情を増幅する役割も担っているから、「前のめり」は一種の宿痾のようなものだ。

 とはいえ、楊井人文弁護士の指摘はまことにもって正当なことである。メディアのこうした有罪推定報道を指摘しない弁護士がもしいるとすれば、その人は刑事弁護を引き受けるべきではない。

 もちろん誰かがリンちゃんを殺したのは間違いない。たとえ保護者会会長が真犯人だったとしても、捜査過程におけるメディアの有罪推定報道の犯罪性は、けっして相殺されていいものではない。

平壌の「虹ナムル」

digital.asahi.com

 19種類のメニュー。上から「食パンとバター」「クリームパン」「三色餅」「キムチ」「山草フライドチキン」「魚の冷製煮込み」「海鮮サラダ」「虹ナムル」「肉団子入りキノコ汁」「緑豆チヂミ」「アヒル煮込み揚げ」「魚の揚げ物フルーツソース」「牛肉胡椒(コショウ)ソース焼き」「キノコ野菜炒め」「そば」「果物」「生菓子」「そば茶」「アイスクリーム」とある

緊迫、軍事パレードの夜に…大宴会 北朝鮮労働党幹部ら

 メニューのなかで気になるのは「アヒル煮込み揚げ」。それっぽいものさえ、私は食ったことがない。それから「虹ナムル」ってなんだろう。きっと七色の野菜や山菜が美しく彩られる、賓客のためのもてなし料理なのだろう。そんなもの食ったことねぇと、平壌在住以外の北朝鮮国民の98%は思っているのではないか。

 北の政府が宴会にうつつを抜かしている頃、日乃本の国の首相もまた桜の下で花見とシャレ込んでいたわけで……。今回の「北朝鮮危機」とはそもそも何だったのか。いや、危機は去っていない、来週かも再来週かもとか、一部メディアは危機を煽り立てるのだが。

 もし今回の四月事態が平穏無事に終わったとしても、一部メディアは「今そこにある危機」を、「近い将来の危機」と言い替えて、人々の不安を継続的に煽り続けることだろう。強迫神経症的な空気がメディアによって醸成されつつある。それは一種のメディア神経症というにふさわしい。

 これはやっかいな病気だ。ユダヤ人への恐怖と憎悪を何百年と煽り続けてきたヨーロッパは、ついにナチスを生んだ。現代においては、イスラム圏からの移民問題が欧州における反民主主義的な極右の成長を支えている。自由と寛容という外皮の下には、つねに民族排外主義のマグマが潜んでいる。その基本的な構造は変わっていない。

 日本でいえば「北朝鮮拉致問題」が似たようなものだ。それは不確かな恐怖なのだ。「拉致被害者のすべてがもう死んでいる」と誰もが心中に思いながらもそれを言葉にすることができない。詳細は不確かであるがゆえに、人々は苛立ち、そのなんとも隔靴搔痒の時間の蓄積のなかで、異論は封殺され、やがてすべてを解決してくれる事態──それを実現してくれる強大な権力を欲するようになる。

 今度、朝鮮・韓国料理屋に行ったら「虹ナムル」を頼んでみよう。平壌の、そして極東アジアの「リアル」を少しは感じることができるかもしれない。

WoWoW放映 5月中旬までの関心作

  • 偉大なるマルグリット
  • 若者のすべて
  • 残穢【ざんえ】−住んではいけない部屋−
  • 1001グラム ハカリしれない愛のこと
  • ダンサー・イン・ザ・ダーク
  • 素敵なサプライズ ブリュッセルの奇妙な代理店
  • ザ・ファイター
  • リチャードの秘密
  • 愛の監獄 
  • クリーピー 偽りの隣人
  • グランドフィナーレ
  • DEMON デーモン
  • さよなら歌舞伎町

 例によってWoWoWのホームページから紹介文と写真を拝借している。コピペです、すいません。#赤字部分が私がなぜこの映画を観たいのかの理由。 

偉大なるマルグリット


f:id:taa-chan:20170423011636j:plain4/25(火)午前11:45 5/22(月)午後4:45

 自分が音痴であることに当人だけ気付かぬまま歌姫への道を目指す、はた迷惑だが憎めないマダムの数奇な人生を描き、第41回の仏セザール賞で計4部門に輝いた人間ドラマ

 音楽的才能はまるで無いにもかかわらず、周囲のお義理の礼讃をいいことに本格的な歌姫への道を目指すマルグリット。本作の天然キャラのマダムのモデルとなったのは、アメリカに実在した音痴の富豪の女性フローレンス・フォスター・ジェンキンス。メリル・ストリープ主演の「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」に先立って作られた本作は、フローレンスの実人生を自由に翻案した切なくもほろ苦いドラマで、実力演技派のC・フロが愛すべきヒロインを熱演。フランスでは観客動員100万人を超すヒット作となった。

 #セザール賞受賞作品はできるだけチェックしたい。

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昔の写真:キューバ2007年

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 新しいブログを整備しているうちに、昔のフォトライブラリーもリンクしようと思った。例えば、「Harf-boiled Wonderland」というページ。2007年ぐらいまでの海外旅行で撮りためた写真をアーカイブし、キャプションもつけて公開しようと思っていたのだが、写真を貼り付けたままで終わってしまった。それでもとりあえず、旅の記憶は喚起される。

 この写真は、キューバのハバナで撮ったもの。まだ、アメリカと国交が回復される前のことだが、アップテンポの民俗的なダンスを踊る少年の首に、ぼろぼろになった星条旗のスカーフというモチーフが面白いと思った。2007年の2月のことだ。

エコリコ

https://www.atpress.ne.jp/releases/124376/img_124376_3.jpg

jbpress.ismedia.jp

 米EcoReco社のIoT連携の電動スクーター。私は上記のJBPressの記事で知ったのだが、「Model R」というのが日本でも発売になるようだ。バッテリーはパイオニア、連携するスマートデバイスのデザインはソニーと、日本の技術もふんだんに使われているのだが、なぜか最終プロダクトとビジネスモデルはアメリカから渡来する。いつものパターンだ。

 このあたりが日本流イノベーションの限界なんじゃないかと思う。もちろん「残念ながら2017年4月の時点では、日本国内の公道で走行することはできない」など法規制の問題もある。それ以上に、環境負荷や渋滞問題に真面目に取り組まず、ムダに四輪車を走らせたほうが、四輪メーカーや都市行政にとっては好都合という、隠れた「大人の事情」こそが、最大のガンなんじゃないかという気もする。

ごめん

 昨日は高知県南国市に日帰り出張だったのだが、最寄り駅がJR四国と土佐くろしお鉄道の「後免駅」。f:id:taa-chan:20170421151135j:plain  Wikipediaによれば、いまは南国市だがもともとこのあたりは、長岡郡後免町(ごめんまち)。それで駅名がこうなった。いろいろ人に言い訳するときに、使える写真かもしれないと思って、パシャリ。

 南国市には地名にちなんだ「ごめんなさいプロジェクト」という町おこしのプロジェクトがあって、こんなロゴや   https://stat.profile.ameba.jp/profile_images/20140311/22/39/dd/j/o063307971394544598247.jpg

こんなイベントも開催している。

http://www.gomennasaiproject.com/10582888_1019663548080488_2851819171425345519_o.jpg

観光マインドって...要はカネのことかい

http://livedoor.blogimg.jp/siesta410/imgs/d/d/ddff0238.jpg

 国立博物館でスニーカーメーカーがイベントを打ったり、東大寺がライブ会場になったりするのは、ま、そんなに悪いことじゃないと私は思う。もちろん文化財を傷つけない範囲でというのが大前提だけれど。

 地方創生大臣の発言に関する小田嶋隆氏のブログから。

学芸員に観光マインドを求める態度は、大学の教員や医者に「接客マインド」を求め、研究者に「起業家マインド」を要求する昨今流行の市場経済万能主義から派生した拝金思想と軌を一にするもので、ついでに申し上げるなら、そもそも「古い」からこそ価値を持ちこたえている博物館や美術館の収蔵品に「リニューアル」を求める思想の本末転倒の浅薄さは、文楽に現代的な演出を求め、仁徳天皇陵を電飾でデコレーションして世界遺産登録を促そうとする政治家の馬鹿さ加減と見事なばかりに呼応しているわけで、結局のところ、この人たちは地域をネタに一儲けをたくらむ野盗コンサルの手先みたいなものなのだ。

引用:マインドなき大臣が更迭されない理由:小田嶋隆の「ア・ピース・オブ・警句」 ~世間に転がる意味不明:日経ビジネスオンライン

 小田嶋氏はこうした夜盗コンサルみたいになってしまった大臣への辞職要求がなぜ高まらないのか、その理由をこう記す。

たぶん多くの国民は、 「別にいいんじゃねえの?」  と思っている。  というよりも、 「誰に代わったからって何が変わるわけでもないだろ?」  ぐらいに考えている。  一番の危機は、実にここのところにある。  つまり、誰も閣僚に高い見識や立派な人格を期待しなくなっているというこの状況こそが、安倍一強体制がもたらしている最も顕著な頽廃なのである。

 ま、その通りだろう。私は加えて、学芸員や文化の役割を理解できないのは、いわゆる「経済脳」という一種の器質ゆえではないかと思ったりする。全ての価値を金の損得に瞬時に置き換えてしまう思考回路。触ったもの全てを黄金に変えたという、ギリシャ神話のミダースのような。新自由主義がこうした疾患を増大させている。この大臣も東大経済学部卒(元は理系で途中で文転したらしいが)。「経済マインド」がやたら強すぎたのだろう。

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