小石川日乗Hatena版

おっさんがよしなしごとを書き散らします

ヘイトは遺伝する

 最近は色々面倒なので、TwitterやFacebookはあまり使わないのだが、久しぶりに自分のアカウントを覗いたら、互いにフォローしている知人の中に、この間の日韓経済・政治対立における韓国の対応をめぐり、憤懣やるかたない様子でこんなツイートを吐き散らす御仁がいた。

子供の頃、祖母に「朝鮮人は野犬みたいなものだから食いつかれたり吠えかかられないように側へ寄らんのが一番や」と言われていて、婆ちゃんいつの話だよしょうがねえなあ、と思ったものだが、半世紀近く経って祖母の言うことが全く正しい事を認識した。

「○○人は××だから、▲▲する」という、対象民族をひとくくりにして裁断する思考スタイルは昔からある。たいていの場合、「▲▲」には「つき合いを避ける」「シカトする」ときには「殴る」「蹴る」という、なんらかの感情的にネガティブな行動、時には権限行使や暴力を仄めかす動詞がつくものだ。昔はこうしたワンパターン思考を「民族差別主義」と呼んだものだ。最近は、カタカナ語を使って「ヘイト・スピーチ」というようだが……。

 この投稿者は現在、40代後半かせいぜい50歳前後だから、その祖母といえば、当然戦中・戦前派。日本国内に植民地から就労目的でやってきた朝鮮人がいて、しかも日本人集落の側に居住しており、ときには「朝鮮人部落」を形成し、貧しい生活を余儀なくされていたかもしれない(彼らがなぜ貧しかったのかについては、ここでは割愛するが)。もしかしてその中には強制的に徴用されてきた人々またはその子孫が含まれていたかもしれない。

 「朝鮮人は野犬みたいなもの」という言葉の明らかなヘイト体質は、この「婆ちゃん」の実体験に根ざすものだろう。後にも触れるように、私の父親(大正10年生まれ)もまた、私が子供のころ幼い兄弟たちが家の中で喧嘩していると、よく「朝鮮人みたいな喧嘩をして」と兄弟を諫めたものだ。子供の頃はそう言われてもピンと来なかったのだが、父には朝鮮人が激しく感情的に言い募る様子を実見した経験があったのかしれない。その言葉のトーンには、「朝鮮人は野犬」と同様の明らかな差別的ニュアンスがあった。

 しかし投稿者の祖母や私の父に体現されていた、朝鮮人を見下した眼差しは、必ずしも彼らの個人的な民族差別思想がそのまま現れたものとはいえない。彼らの朝鮮人差別意識は、当時の日本帝国の自国領土内外の他民族に対する政策を屈折して反映したものにすぎない。国家の思想を、人々が、社会が、意識的にか無意識的にか、内面化してしまうことはよくある。

 もちろん、たとえ植民地主義と他民族への差別が日常的に当たり前の時代においても、個人の体験には幅があり、他民族に対する視線が、必ずしも差別的とはならないケースも十分ありうる。

 例えば、2014年に亡くなった小説家、渡辺淳一が、北海道で過ごした子供時代を回想した2002年のエッセイにはこんな描写がある。

札幌の小学校に通っていたわたしは、それら親戚のところへ、ときどき遊びに行ったが、そこで何人かの朝鮮人を見ている。

彼等はいうまでもなく戦時中、日本の権力によって強制連行された人たちである。その数はどれくらいになるのか。一説によると、二百万とも四百万ともいわれているが、かなりの朝鮮人が日本全土に強制的に連行されてきたことは、まぎれもない事実である。

彼等は一様に、真冬でもボロボロの服を着て、痩せて目だけ光っていた。そんな虜囚のような群れが、暗く危険な炭鉱の坑道に送り込まれるのを見たことがある。

さらに新聞店をやっていた親戚の広い庭の下が崖になり、その川沿いに朝鮮人飯場が並んでいた。そこでは朝鮮人たちを労働にかりたてるため、ご飯も立ったまま食べさせて、働きの悪い奴は日本人の棒頭に叩かれて泣いていたと、飯場を覗き見てきた少年がいっていた。

故渡辺淳一と朝鮮人強制連行 | 泥憲和全集——「行動する思想」の記録

 渡辺は事実を述べるだけで、それ以上の感想をここでは控えているが、少なくとも「朝鮮人は野犬のようだ」という侮蔑的な感想は表明していない。むしろこの文章には、彼らの境遇に対する少年らしい好奇心あるいは同情心がかいまみられるのだ。

 私の父も母も、生まれは九州の炭田地帯にそう遠くはない所だ。戦争の末期に女学校を出て尋常小学校の代用教員をしていた母は、後に私たち兄弟にこんなことを話したことがある。

「学級には朝鮮人の子供たちが何人もいた。中には優秀な子もいて、学級の中で成績が一番という子もいたけれど、けっして級長にはなれなかった。担任が任命しようとしても、それは学校では許されなかった」

 そこには、「内鮮一体」というイデオロギーのウラで、その民族性ゆえに構造的に差別される植民地出身者たちの姿があった。私はその母の言葉をよく覚えていて、その後、日本の植民地政策や、日朝・日韓の関係史を勉強する時、いつもその言葉を思い出したものだ。おそらく母には「朝鮮人の子供にも平等に接したかった」という思いがあったのだろう。少なくとも、そうした差別の実態が戦前の日本にあったことを、子供たちに伝えたかったのだと思う。その態度は、「朝鮮人の喧嘩」という差別的トーンのある比喩を、無自覚に使う父とは明らかに異なるものだった。

 このように、自分が体験していない時代のことでも、その時代の経験者の言葉一つで新しい視点が開けることがある。歴史が語り伝えられるというのはこのことだ。同様に、先代、先々代の差別意識が、そのまま家族の中で温存され、無批判に子孫らに伝播するということもありうる。冒頭のツイートはその例証かもしれない。

 ヘイトは、時には遺伝するのである。

//トップに戻るボタンの設定
//トップに戻るレンジの設定