小石川日乗Hatena版

おっさんがよしなしごとを書き散らします

メディアの推定有罪報道

news.yahoo.co.jp

ところが、この保護者会長の男性は逮捕されてただちに「有罪」の審判が下されてしまったかのごとき報道ぶりである。「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」という原則を無視するどころか、捜査機関より前のめりになって、この”犯人”を社会的に懲罰せんがごときである。今回に限らず大事件であればあるほど有罪推定報道に傾きがちであるが、これでは捜査活動をチェックできず、万が一違っていたときも引き返せなくなる。そうした可能性を少しは考えないのであろうか。 【千葉女児殺害】繰り返される有罪推定報道(楊井人文) - 個人 - Yahoo!ニュース

 被害者が外国籍でかつ可愛らしい女子児童であったことも報道に拍車をかけたんじゃないかな。しかも、ベトナムからやってきた一家だし。「よそ様に対して、みっともないことをするな」という意識はまだ日本人の中に根強く、ときにはそのエートスが外国人に対するヘイトスピーチを抑制する方向に働くこともある。もちろん、こうした同情論で動く限り、それは逆のベクトルに向かうことも少なくないのだが…。

 もしこの事件の容疑者が在日外国人あるいはベトナムの同族の人であったら、メディアや読者の関心はここまでヒートアップはしなかったのでないか、という気もする。

 いわば「恥の文化」が、警察とメディアと読者を駆り立てている。ステレオタイプに習慣化された、いかにも日本人的な、いっときの感情的な高ぶりが、報道の暴走を容認している。そもそも、マスメディアとは「真実を報道する」ということ以前に、こうした国民的資質の上に立って、人々の感情を増幅する役割も担っているから、「前のめり」は一種の宿痾のようなものだ。

 とはいえ、楊井人文弁護士の指摘はまことにもって正当なことである。メディアのこうした有罪推定報道を指摘しない弁護士がもしいるとすれば、その人は刑事弁護を引き受けるべきではない。

 もちろん誰かがリンちゃんを殺したのは間違いない。たとえ保護者会会長が真犯人だったとしても、捜査過程におけるメディアの有罪推定報道の犯罪性は、けっして相殺されていいものではない。

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