小石川日乗Hatena版

おっさんがよしなしごとを書き散らします

戦争エンターティンメントの戦後史

 8.15が近づき、例によってテレビ・新聞で「終戦特集」が組まれる。今年の夏は敗戦70年ということで、いろいろと趣向を凝らす社もあるようだ。映画「永遠の0」が地上波で初放映されたというのも話題だ。私は百田尚樹の原作小説も、映画もテレビドラマも見ていない。それは、前に書いたように、たんに百田という男を蛇蝎のように毛嫌いしているからにすぎない。


 したがって百田が零戦をどう描いたかの詳細は知らないが、かといって零戦を含む旧軍の戦闘機、あるいは特攻について私の知識がないわけではない。今の人には想像つきにくいかもしれないが、私のような昭和30年生代まれの子供たちは、いま以上にマンガ漬けで、小学生が回し読むマンガ誌(子供たちが買ってもらえるマンガ週刊誌はせいぜい1種類だから、それを交換しながらその週発売の全誌に目を通すわけだ)にはしょっちゅう戦記物が登場していた。


 例えば「紫電改のタカ」ちばてつや:1963-1965「週刊少年マガジン」連載)。「死と隣り合わせの戦争の中で生きる若者の苦痛や苦悩を描き出し」(Wikipedia)ているらしいが、私が覚えているのはもっぱら戦闘機乗りの「カッコヨサ」や、戦闘機を操りながら次々に編み出される戦闘手法の巧拙といった技術論ばかりである。“撃墜王”の戦法はクラスの男の子みんなが詳細に知っていたし、当時、プラモデルを作るとすれば、まず筆頭にあがったのが旧軍の戦闘機や艦船だったのだ。


 つまり、日本のサブカルチャー領域では戦後20年も経つと、「戦争」は売れ線の娯楽アイテムとして大手を振って消費されていたのである。もちろん送り手の側には戦争を描くことで、平和を訴えるという意識が皆無だったわけではないだろう。だが、それ以上に、戦争は古今東西最高のエンターティンメントでもあるのだから、売らないわけにはいかなかったのだ。


 ここで言いたいのは、我々の世代は戦争の商品化(キャラクター化ともいう)には、子供のころからすでに「免疫」ができているということである。商品化であるがゆえに、真実ではない、少なくもマンガに描かれるのは多様な真実の一部を表現するにすぎないという“決まり事”も、少年たちにとっては暗黙の了解であった。


 もちろんそうした了解は、マンガ以外の書物によって知識を補充されることによって、より客観性の高いものになっていく。私の場合は、高校生以降の読書がそれにあたる。ただのミリタリー・オタクにならずに済んだのも、読書によって政治史、社会史として戦争をとらえる視点ができたからだ。


 むろん政治のありようの一つとしての戦争であるから、戦史を描くにしても、そこにはさまざまな政治イデオロギーが陰を落とすのは避けられないことだ。研究書といえども、すべてが科学的な客観性を担保しているとは限らない。それも含めての読書体験である。


 戦争の商品化のメカニズムや、そこにすり込まれるイデオロギーを読み解く作業はいまでも必要だ。それを抜きにして、

「百田先生の小説を読んで、初めて戦争の真実を知りました」

 などと感動している2015年現在の若者がいるとすれば、実にナイーブというしかない。


 百田の小説に感動した、という声は私の周りにもある。この前は、「百田の本で太平洋戦争に興味をもち、今は山岡荘八を読んでいる」と語る40歳前後の人に飲み屋で会って、私は溜息をつくしかなかった。百田→山岡ラインだけで戦争を理解するのはかなり無理があると思うのだが、まあとっかかりだから仕方がない。


 百田を読んで特攻の悲惨さを、あるいはその「美学」を理解したつもりになっている人がいるとすれば、その後には以下の文章を読んでみてほしい。戦争ロマンチシズムからの一種の“解毒剤”の作用を果たすはずだ。


「特攻隊の編制は、形式的には志願で始まったが、間接的強制、そして実質的な命令に進んだ」

「特攻はあの戦争の美談ではなく、残虐な自爆強制の記録である」

「人間を物体としての兵器と化した軍部当事者の非人間性は、日本軍の名誉ではなく、汚辱だと思わざるを得ない」

「当時、政府もマスコミも『鬼畜米英』と言っていたが、玉砕、特攻こそ陸海軍最高首脳と幕僚たちの、前線の将兵に対する鬼畜の行為であった」

 だれか左翼の学者が書いた文章ではない。

 憲法改正を唱える保守派言論人を代表する、読売新聞グループ主筆渡邉恒雄氏が、2006年10月号の『中央公論』に寄せた文章だ。読売グループは当時、総力をあげて太平洋戦争の過程を検証するプロジェクトに取り組んでおり、その成果は『検証 戦争責任(上下)』(中央公論新社、2006年)にまとめられた。ナベツネの論文はそのモチーフを紹介したものである(Webでも特集が組まれている。


 特攻戦術の導入を「鬼畜」の所業と呼ぶのは、戦争を陸軍二等兵として経験した人ならではの感情移入であるかもしれない。だが同時にそれは、客観的な歴史検証を経て私たち戦後の日本人がたどり着いた、一定の事実認識の表明でもある。


 百田の小説が、特攻を「鬼畜」のように描いているか描いていないか、それは知らない。貴重な時間を割いて、それを調べるつもりもない。ただ、もし百田の小説が、戦後70年、何度となくコピーされてきた凡百の“子供向け”戦争エンターティンメント作品以上の社会的価値をもち、クソも味噌も一緒にして結局は特攻の精神を美化すること以上の有効な思考作用を私たちにもたらしている、と評価する人がいるなら、ぜひご一報いただきたいものである。


# タイトルは釣りみたいだったな。そこまで今の私に書くことはできない。それでもそういう研究がいまあらためて必要だと思う、私の理由を以下述べたまでである。


# 最近、知覧特攻平和会館(私も一度行ったことがある)をもつ鹿児島県南九州市が、アウシュビッツ強制収容所跡地のあるポーランドオシフィエンチム市との友好交流協定を、市民などの反対で諦めたという報道があった。

「特攻とユダヤ人虐殺が同一視されかねない」のが反対論の趣旨だというが、上記のナベツネの文章を読めば、特攻とユダヤ人虐殺は「非人間的」な「鬼畜」の所業という意味では同一とみなすこともできるのだ。両者を共に「人類の負の遺産」として捉えるからこそ、二つの市の接点が生まれる。そういう視点がすっぽり抜け落ちた特攻展示は私には、いつまで経っても「永遠のゼロ」のまま、つまり空虚なものに思えるのである。

//トップに戻るボタンの設定
//トップに戻るレンジの設定