大相撲の国際化は、もう押し戻せない流れだ。今場所の幕内力士42人のうち、外国出身者は14人いる。割合にして33.3%。日本の「国技」と言いながらも、トップにいる力士の3分の1は外国人なのだ。
この数字を、たとえばアメリカの国技と言っていい野球と比べてみる。最高峰のメジャーリーグには日本人選手も数多く進出しているが、昨シーズン開幕時の登録選手のうち27.5%が外国生まれだった。
中南米やアジアから選手が大挙して流入しているイメージのあるメジャーリーグだが、すでに大相撲のほうが国際化は進んでいることになる。
稀勢の里が大相撲を日本人の手に戻してくれるという期待への「違和」(森田 浩之) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
これだけではない。「二次創作」の愛国教育は、戦後社会に見られるひとつの伝統芸であり、サブカルチャーであり、この分野に詳しい者にとっては見なれたものである。
だからこそ、戦前回帰との批判には違和感を禁じえない。「軍歌を歌う幼稚園」も、終戦記念日の靖国神社も、きわめて戦後的な現象であり、戦後民主主義の土台のうえに成り立っているものだからだ。
「軍歌を歌う幼稚園」森友学園の愛国教育は、戦前だったら不敬罪!?(辻田 真佐憲) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)
私たち国民はおそらく、本当はこう認識し、言わねばならないのである。
「東電は賠償をしっかり払え。国は支援をしっかり行え。国も東電も責任を放棄するな。必要な資金は電気料金と税負担で賄え」と。
そしてだからこそ、こう言うこともできるのである。
「もう二度とこんな事故は起こすな。国民全員にこれだけの負担をかけて一体何をやっているのだ。東電を支えているのは利用者だ。株主ではない。この国を支えているのは私たちだ。一部の声の大きな人たちではない。ふつうの国民が支えているのだ。きちんと私たちの声を聞いて、間違いのない適切な政治を行え」と。