小石川日乗Hatena版

おっさんがよしなしごとを書き散らします

若者の意識は保守化しているのか

「自民勝たせた若者の意識 「青春=反権力」幻想に」と題する毎日の記事。紹介されている大阪大の特任教授の調査データからは、2001年から12年間という短期間にも、高校生の意識が大きく変化していることがわかる。「これが40年前だったら……」などとカンブリア紀を振り返るような遠い目はしたくないが、もし1970年代の高校生に同じアンケートを取ったとすれば、半数は校則なんて関係ない、7割以上が太平洋戦争は間違っていた、6割ぐらいは日本文化以上に海外の文化に関心をもっていて、つまり棒グラフはまったく別の図を示していたことだろう。

 なんでこうまで変わるのか。記事でもさまざまな分析がされているが、これだというものがわからない。ただ、この変化に私は漠然とした恐ろしさを感じる。例えば大学の国際学部で海外比較文化論なんぞを担当する教授は、「日本の文化・伝統はほかの国よりも優れている」などとアプリオリに信仰する新入学生に対してどういう言葉をかけるのだろうか。

 高校生の意識の変化の背景には、もちろん論壇からテレビのワイドショーに至るまでの日本の政治・文化領域における右派の台頭があるだろう。テレビや新聞で「何度、謝れば済むんだ」と怒るオッサンとか、自己批判なき「日本すごい!」の、品性賤しき言葉の連発を見聞きしていれば、いかに愚鈍な若者でも、そんなもんだろうと思い込むに違いないからだ。私だって、高校・大学生のころは、西欧の社会モデルを理想として「やっぱりダメな日本」という日本批判の想念を頭に詰め込んでいた節があり、それは当時の、ネットもなく右翼メディアも今ほど隆盛ではなかった日本のオピニオン状況がたんに反映していただけかもしれないのだから。ついでにいえば、そうした観念を醸成するだけの社会的な騒乱の時代でもあった。

 ただ、こうした若い時の意識は、その後の社会体験、海外体験などを通して、少しは鍛えられた。いちおう少しの検証を経た後も、私のイデオロギーはけっして右派には転じず、かろうじて左派の一端に止まっている。それはそれでよいと今では思っている。

 若者の保守的・権威主義的・かつナショナリスティックな思想は、今後どのように変化するのだろうか。右派によるニッポン万歳三唱の怒号の前に、なんとなく糊が固まるようにそのまま原イデオロギーとして脳髄に固着してしまうのか、はたまた、何らかの現実的ショックを受けて、多少のギクシャクがあるのかどうか。いずれにしても若者の思想は自らによっていつかは検証され、反省され、さらにその上で発展しなければならないことだけはたしかだ。

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大阪大特任教授の友枝敏雄さん(社会学)の研究チームが、2001年から6年ごとに3回にわたり、福岡などの高校生延べ1万人超を対象に行った意識調査だ。グラフを見てほしい。例えば「校則を守るのは当然か」という質問に「そう思う」「どちらかといえばそう思う」と答えた生徒の合計が、68・3%(01年)▽75・4%(07年)▽87・9%(13年)と大幅に増加。さらに「日本の文化・伝統はほかの国よりも優れている」への賛意は、29・6%(01年)▽38・7%(07年)▽55・7%(13年)と年々伸び続けているのだ。

特集ワイド:自民勝たせた若者の意識 「青春=反権力」幻想に - 毎日新聞 https://mainichi.jp/senkyo/articles/20171113/dde/012/010/012000c

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