米NFLのコリン・キャパニック選手が米国内の人種差別に抗議するため国歌演奏時の起立を拒否して賛否両論となっている問題で、オバマ米大統領は5日、キャパニック選手は憲法で保障されている意見表明の自由を行使しているだけだと擁護した。訪問先の中国で発言したオバマ氏は、選手の行動は議論に値するものだと述べた。
引用:米国歌に起立拒否のNFL選手、オバマ氏が擁護 - BBCニュース
アメリカンフットボールのプロの試合にいちいち国歌が流れる、というのもうざったいお国柄だが、それでもアメリカの自由と民主主義はまだ寛容だ。これが日本だったら、どこぞの爺さんが「国歌を歌えないような選手は日本の選手ではない」などと偉そうに𠮟咤し、その発言がそのまま容認されてしまうだろう。
プロリーグのセレモニーと、ナショナルチームの壮行会というイベントの性格の違いが問題なのではない。スポーツの現場にも出現する、国家という共同体と個人の関係の問題なのだ。その関係はつねに一定の緊張感をもって、かつ多様に構築されている。そのことをアメリカのスポーツ選手は自分の頭で考えている。所属チームも起立拒否というだけでは問題視しない。ましてや大統領や軍人までもが。
日本人は、実はこういう関係性への意識が歴史的に希薄だ。だから容易に、周囲の同調圧力やナショナリズムの興奮に流されてしまう。