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戦後70年 沖縄「しまくとぅば(島言葉)」、差別と復権

⇒ 戦後70年 沖縄「しまくとぅば(島言葉)」、差別と復権 - ことばマガジン:朝日新聞デジタル:

 現在、国内にある米軍基地の約4分の3が集中する沖縄県だが、太平洋戦争直前の41年夏までは全国で唯一、常駐部隊も軍事施設もない県だった。


 なんくるないさー(くじけずに努力すればいつか良い日が来る)の精神。そんな沖縄の人々を、沖縄連隊区司令官・石井虎男は「沖縄防備対策」(34年)で「国家の興廃についてまったく眼中にない」と激しく批判。思想伝導の一環として過激な「標準語励行運動」を始める。


 沖縄独自の姓は本土風に改姓させられた。島袋は「島」や「島田」に、渡嘉敷(とかしき)は富樫(とかし)に。さらに、「役場窓口で方言を話す老人には対応しなくてよいとの通達が出たり、方言を話す老人のブラックリストが作られるなど、(中略)沖縄語は価値のない言葉として貶められた」(「沖縄タイムス」2006年9月13日、文化面「しまくとぅばをめぐる風景」屋嘉比収)。


 学校では、沖縄語を使うと罰札「方言札」を持って立たされた。方言札は、標準語をしゃべる「立派な日本人」を尊び、沖縄語の使用を罪悪視する刷り込み教育の象徴だった。


 45年の沖縄戦時にはエスカレート。「『沖縄語を使った者はスパイと見なす』という軍命が出され、実際にスパイの嫌疑をかけられ殺されもした。(中略)言葉一つで生死を分けた」(沖縄タイムス「うちなぁタイムス創刊号」13年、映像評論家・仲里効さん)

三木 淳 2015年8月19日

 「方言札」のことは知っていたが、「創氏改名」的な強制がされたり、「方言を話す老人のブラックリスト」まで作られたことは知らなかった。

 戦後70年、いまは「しまくとぅば」の復権が盛んだという。2009年、ユネスコ沖縄県内の5言語(与那国語八重山語宮古語、沖縄語、国頭語)を「独立した言語」と認定し、消滅の危機にあると発表したことが背景にある。沖縄の「自己決定権」への関心の高まりも、この流れを後押ししているのではなかろうか。


 県文化観光スポーツ振興課は今年、「しまくとぅば読本」3万6千部を県内全ての小学5年生と中学2年生に配った。A4判50㌻。県内5言語の日常会話の収集と監修には1年近くかかった。5言語の差異が、本州最北端の津軽弁(青森)と九州最南端の薩摩弁(鹿児島)の差異よりも大きいからだ。例えば、日本語の「いらっしゃいませ」は那覇では「メンソーレー」だが、宮古島では「ンミャーチ」、石垣島では「オーリトーリ」。発音の違いを理解するCDも付けた。同課の平良真さんは「一つだけを採り上げると、他地域の言葉をなくすことになる。それでは本土(がやった沖縄語弾圧の歴史と)と同じになるからね。子どもの間にしまくとぅばに触れて興味を持ってもらい、普及と継承につなげたい」。


 「一つだけを採り上げると、他地域の言葉をなくすことになる」という方針に目を啓かされる。かつては沖縄本島琉球王朝政府が離島を抑圧した歴史もある。方言の存在を、文化多様性のキーワードとしてとらえることがこれからは重要だ。

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