小石川日乗Hatena版

おっさんがよしなしごとを書き散らします

「天皇の軍隊」と戦争神経症

⇒ (平和のすがた:4)トラウマ 封印された「戦争神経症」 戦後70年・第6部:朝日新聞デジタル:

 戦場から帰った兵士らにしばしば、こんな症状が現れる。心的外傷後ストレス障害(PTSD)である。

 その名がつく前にも、戦争のトラウマ、つまり心の傷で苦しむ人はいた。なのに元日本兵のトラウマに目を向けた研究は少ない。

 貴重な例外があった。のちに厚生省生活衛生局長を務める精神科医の目黒克己(82)が、戦後20年の時点で手がけた調査だ。

 日本人の精神力を強調する軍は、日中戦争開戦の翌年には、「戦争神経症」と欧米で呼ばれる病には1人もかかっていないと誇っていた。現実には対応を迫られ、国府台(こうのだい)陸軍病院(千葉県)をその拠点とする。敗戦時、軍は資料の焼却を命ずるが、病院長の故・諏訪敬三郎はひそかに8千冊の病床日誌を倉庫に残す。

2015年8月18日04時56分

 そういう資料が残ってたんだ。他にも、都合の悪い資料は敗戦時に燃やしちまったんだろうな、と容易に想像がつく。

戦後20年の調査の際、目黒は元国府台陸軍病院長、諏訪敬三郎に相談した。

 戦争神経症で戦地から国府台に送られたのは下士官と兵ばかり。将校では発症した人が少ないようだ。なぜなのか。

 2人はそんな議論を交わし、「日本は『天皇の軍隊』だからではないか」という見方で一致する。米軍より「絶対服従」の度合いが強く、自分の責任でやったという意識を持ちにくいという意味だ。将校なら兵士に比べ、軍内で暴行を受けたりみずから手を下したりすることも少ない。

 「天皇の軍隊」の象徴の一つが、上官の命令を天皇の命令と心得よという軍人勅諭だ。一橋大教授の吉田裕(60)の研究によれば、それでもかつては処分への異議申し立ての権利が定められていたが、軍は1930年代から40年代にかけて逆らう余地をなくしていく。同時期に「国軍」と称していた陸軍は「皇軍」を名乗るようになる。

 たとえばアイヒマンにように、人が命令に従う「機械」になれば、トラウマになることもない、ということか。2003年のイラク戦争に派遣された自衛隊員のなかでも帰国後自殺をした人が何人もいる。その数が一般の自殺率と比べて多いか少ないかはわからないが、戦争神経症の発症を疑うべきかもしれない。

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