報道圧力発言:「問題の本質は『事実に基づかない発言』だ」 沖縄2紙編集局長の会見詳報- 毎日新聞
これは日本の全メディア、国民全体への問いかけだ。
「この国は全体主義ではない。民主国家であり多様な意見があっていい。沖縄問題をほとんど報道しない、無関心があるとするなら、基地の加重負担や人権蹂躙状況を放置された沖縄県民は『差別ではないか』『沖縄は植民地ではないのか』という感情を呼び起こす。かつて沖縄県民は、『基地撤去』とは言っても『県外移設』とは言ってこなかった。声高に主張し始めたのはここ10年くらい。なぜそんな声が起きたのか。それは県民が『県内移設反対』と言っても取り合ってこなかった政府、在京メディア、背後にいる多くの国民への不信感が高まっているからではないか。基地を受け入れたくないという気持ちはわからなくはない。そこで思考停止せず、いかにしたら基地を閉鎖・撤去できるのか。国外に移設できるのか。沖縄県民を同胞だと思うなら、ともに苦しみ悩んでほしい」
ここまで論理的に反論され、かつこのように課題を問いかけられても、その意味を理解できない人はいるだろう。というより、理解しようとしない人はいるだろう。下に貼ったツィートなどはその典型。思考の境界線を越えたはるか向こうの妄想癖は、たぶんもう治癒できない。残念ながら。
こうした思考停止状況が生まれる背景については、今朝(2015/07/03)の朝日新聞が掲載した識者の発言が参考になるかもしれない。
アメリカの覇権が衰えを見せる中で、中国が台頭し、東アジアで秩序の流動化が起きているのは事実ですが、その中で秩序をどうやって維持するかという具体的な議論をしようとしない。最終的には「脅威が存在するのだからしかたない」という「友・敵」の図式に単純化してしまう。複雑な問題を解決できないために、わかりやすい対立に逃げているようにしか見えません。
「敵」「味方」の峻別は、経済格差の拡大や政権側の失敗など弱点を覆い隠し、自分に都合のよい形で外部に敵をみつけ、たたくことで、不満の矛先が自らに向かわないようにする手段となります。
スターリンが個人崇拝や独裁を強めようとした旧ソ連、昭和恐慌前後の日本でも見られた現象です。シュミットが活躍したのは、第1次世界大戦に敗れて膨大な賠償金を科せられ、ハイパーインフレに襲われたワイマール共和国時代だったことが象徴的です。 現代では、こうした国家や権力側の都合にネット空間が拍車をかけている。対立し、意見の違う相手を徹底的に攻撃したり、不特定多数が一気に責め立てて炎上したりするネットの負の側面に、ナショナリズムによる「敵」「味方」峻別が親和しやすいのです。
いずれの分析も貴重だ。ただ、現在はもはや社会科学研究者の病理研究の範疇を超え、こうした「誰かの妄想」が現実の政治を動かすまでになっている。いわば妄想が物質化しているのである。それに抗するには、あたかも溶け落ちて固化したあとも強い放射性を放つ原子炉の燃料デブリと化したイデオロギーを、何らかの形で無害化することが必要になろう。