五十嵐泰正(筑波大准教授)、開沼博(福島大特任研究員)ら30~40代の社会学研究者が、地域研究の一貫として「常磐線」沿線を捉え直した論集。「常磐線中心主義」とは聞き慣れない言葉だが、本書のあとがきでは「日本の主軸とはいえないが、日本にとって欠かせない、まさに下半身的な役割を果たしてきた常磐線の価値を再評価し、重要性を見直すこと」と定義している。
目次には、上野、南千住、柏、水戸、日立、泉、いわき、内郷、富岡などの駅名が並ぶ。「柏」の章では、柏市で進められている公民協働の放射能除染活動について触れられているが、これって、友人が会社の仕事でかかわっていたものかしら。
「泉」の章は、泉というよりは小名浜についての論考だ。高校時代の仲間たちとやっているメーリングリストでも最近よく言及される「小名浜臨海鉄道」(正式名称、福島臨海鉄道)の歴史についても触れられている。執筆者は、79年小名浜生まれで福島テレビの記者を退職後、小名浜のかまぼこ会社に広報担当として転職し、そのかたわら、「TETOTEONAHAMA」 というWebマガジンやカルチャースペース「UDOK.」などを運営している小松理虔氏。
「小名浜本町通芸術祭」というイベントを2013年から手がけてもいる。「日々の新聞」の安竜さんや、哲学者の東浩紀氏、当然ながら開沼博氏などとも交流があるようだ。
氏が今も住む実家の地名は、いわき市小名浜松之中。もともとは小名浜の海岸線に植えられていたクロマツ並木が地名の由来ではないかという。その海岸線が埋め立てられ、日本水素の工場が建つと、松之中は本来の地名ではなく「水素前」の通称で呼ばれるようになる。私もその呼び名を子供の頃に聞いた覚えがある。
日本水素の高山社宅は、工場と敷地を隣接していた(風向きによっては工場の廃煙をまともに浴びたし、社宅の広場には工場の生産物である化学肥料の倉庫もあった)。つまり社宅もまた、埋立地の上にあったことに、この話を読んであらためて気づいた。私は社宅の内側から小名浜の工業化を、小松氏は外からそれを見ていた人なのだ(年齢差は四半世紀近くあるけれど)
かまぼこ製造業の視点からみた、福島の農産物や加工食品の「風評被害」についての議論は、とても参考になった。
一言でいえばローカルな視点から日本の社会史を捉え直す趣向だが、「常磐線」という、一見、魅力も情緒もない路線を採り上げたことに意味がある。その沿線で生まれ育ち、その線をたどって「上京」を果たした私だが、それでも無意識的には忘れたい場所だったのかもしれない。この本を読んで、私はそうした意識の陥穽を突かれたのである。