小石川日乗Hatena版

おっさんがよしなしごとを書き散らします

北九州酔っ払い紀行(2)

 昨年の7月、出張ついでに北九州をちょい旅してきた話。7カ月以上も前のことなんだけれど、ちょっと記録に遺しておきたくなって、書きおく。この頃送ったNさんへのメールを一部修整して。


 熊本・博多出張の帰りに、北九州市に1泊して酷暑の九州旅を堪能してきました。

 7月20日は熊本入り、観光列車で三角まで行き、そこから在来線と新幹線で博多入り。ホテルは天神地区にあったので、夜は「大名」という街区の居酒屋とバーをはしごして、気力充実。翌日の仕事に臨みました。

 午後3時ごろ仕事が終わったので、その足で小倉へ。博多〜小倉間は鹿児島本線の「特急ソニック」でしたが、新幹線のほうが、料金はほぼ変わらず、しかも圧倒的に速いことに後から気づきました。小倉は仕事で4〜5回は来ているんですが、いつも日帰り。たぶん初めての小倉泊です。

 Nさん同窓生のお薦め、鍛冶町の「味処板くら」に行ってきましたよ。鍛冶町は居酒屋やクラブが蝟集する典型的な歓楽街。「板くら」はその街区のど真ん中、雑居ビルの二階にありました。

 酒の種類は豊富ですが、意外と地元のものが少ない。それでも、福岡の利き酒セットみたいなのがあったので、それを頼みました。

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 久留米がよい酒どころであることを実感。「庭の鶯」は前夜の博多でも飲んだのだけれど、ここでは「独楽蔵(こまぐら)」という純米酒に出会いました。それらを、「関門タコの竜田揚げ」をつまみに。関門の蛸は歯ごたえがあって実に美味いですねえ。ただ、たまたまその日がそうだっただけかもしれないけれど、刺身は味がボケた感じがしてちょっと残念。

 〆にはオヤジさんが打った出雲蕎麦を堪能。小倉でなんで出雲蕎麦と思ったけど、オヤジさんが出雲出身なんだって。蕎麦打ちのコーナーとカウンターが分かれていて、カウンターは息子が仕切っているみたい。ただ、シャイなのかなんなのか、私にちっとも声をかけてくれなかったな。

 クーラーのダクトが壊れていて、したしたと水が漏れ、それを店の女の子たちが一生懸命バケツで受けているという“陋巷な”感じの雰囲気もまたよし、でした。

 小倉北区の二軒目は、京町の「かばや」。 木戸がぴしゃっと閉まっていて中が覗けないので、一瞬、入るのに勇気が要りましたが、コの字のカウンターがある和モダンな居酒屋でした。ここでは、「ごまさば」を八女の「繁桝」という銘柄の純米で。けっこう酔いました。

 翌22日は、朝から小倉城周辺を観光。「松本清張記念館」は良かったですね。Nさん、行ったことある?

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 高井戸の松本清張邸の一部を忠実に再現。先ほどまで清張が資料の山に囲まれて執筆していたふうの書斎や、編集者をそこで迎えたであろう応接室などを、外から眺めることができます。なかでも書庫が圧巻。テレビでみたことのある立花隆の書庫もすごいけど、清張のそれはきっとそれを上回る。

 古代の銅鐸なんか、レプリカじゃなくて、ホンモノを購入して、それを愛でながら古代史ロマンを構想していたらしいしね。

 それにしても最高気温35℃前後の暑い一日でした。それにめげず、清張記念館の後は思い切って門司港まで足を延ばしました。

 門司までは行ったことがあるんだけれど、門司港は初めてかも。門司港レトロって、いつから整備されたんでしたっけ。たしかに歴史遺産としては面白いんだけれど、ハウステンボス的なハリボテ感はぬぐえず。実際はリノベーションで、けっしてハリボテじゃないんだけれど、いかにも「観光饅頭ありますよ」てな周囲の感じがねえ。

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 黒川紀章が設計したタワーマンションの31階にある展望室に上り、「門司港地ビール」片手に関門海峡を見下ろすと、その狭さを実感できました。門司と下関って、もう生活圏一緒じゃんみたいな。それと、お恥ずかしい話、巌流島がこのあたりにあることを初めて知りました。これまでずっと瀬戸内海の小島だと思い込んでた(笑)。

 熊本の観光列車でも博多の街でも実感したんだけれど、圧倒的にアジア系観光客が多かったですね。インバウンドの威力恐るべしです。

 門司港でよかったのは、門司港レトロの建物群よりも、むしろ港町の坂の途中にある「三宜楼」 とその周辺の街並みでした。

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 三宜楼は門司港が栄えた時代を偲ばせる昭和初期の料亭。今でも下関の「春帆楼」が支店を出し、宴会料理を供しているようですが、建物自体の見学だけでも可というのでお邪魔しました。玄関で、思わず息を止めるほどの着物姿の若い美女に出くわし、「見学ですか。どうぞお上がりください」と心地よく誘われる。

 春帆楼支店の若女将かな。でも、すぐに彼女はいなくなり、建物を案内してくれたのは、別の中年の女性でした。また、ここでも狸に化かされるのか(笑)。結局、その仲居さんみたいな人に、建物の二階、三階をくまなく案内してもらえました。耐震補強や修繕はしているものの、骨格は昭和初期のもの。これだけの木造建築は、国内でも残り少ないんじゃないかな。建築史的にも貴重です。

 で、その案内人最後に曰く、「坂を降りたところに角打ち屋さんが一つありますよ」。こちらを、昼過ぎからも酒を飲む相当な飲み助と見抜いたか。それが、「魚住酒店」 でした。

 ここの70歳すぎぐらいのおかあさんが、気っ風のいい面白い人で、門司港の歴史をいろいろ語ってくれました。言葉に九州なまりは感じられなかったから、よその地域からお嫁に来た人かもしれない。

 なんでも、戦中の魚住酒店はもっと港に近いところにあり、その隣の旅館が、写真家・藤原新也の実家。「私は知らないけれど、亡くなったうちの主人とは幼友達だったみたい」とおかあさん。そういえば藤原新也には門司港を撮った『少年の港』という写真集がありますね。

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 魚住酒店は細い坂が入り組んだ路地の途中にあります。山地が急に海に落ち込んでできた港には、必ず背後に坂があるもの。伊豆半島にも多いですね、こういう地形。坂のある港町の風情は、叙情の宝庫でもあります。

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 しかし、三宜楼の人に言われなければ、この路地にも彷徨い込まなかったかもしれないし、昼から角打ちという発想もなかったかもしれない。「私がお嫁に来たころは、まだこのあたりに芸者さんがいっぱい住んでいた」など、しばしおかあさんの昔話をつまみに飲んでいると、30代半ば風情の観光女子が一人でふらりと入ってきた。

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 前の職場は岩手の釜石。震災後しばらくして、九州に移り住み、いまは小倉。北九州をよく知らないので休みのたびに街歩きをしている。今日も夜は戸畑の祇園祭を見に行く予定……などと、尋ねもしないのに来歴を語る。

 こういうのあるんですよ。ひとり女子の酒飲み話。前々日の博多・天神のバーでも、山梨出身、水晶彫刻の伝統工芸士の娘で、芸大を出て、いまは博多でIT企業のマネジャーをやっているとかいう、メガネ美女としばし話し込んだ。

 名前も告げず、こちらからも聞かず。もちろん名刺なんぞ絶対渡さず。それでも、というか、だからこそ、人生の来し方行く末を、一夜の酒にまぎらして初めての客にも喋ってしまいたくなるものなんですね。

 それはともあれ、魚住酒店は日本酒二つと枝豆、イカの塩辛だけでお開きして、門司港駅まで戻り、小倉駅でコインロッカーに入れた旅行鞄をピックアップ、博多のエキナカ鮨屋でちょっと引っかけて、それから福岡空港。夜8時の便で帰って来ました。夏の昼酒はすぐに酔う。シートベルトをつけた瞬間に寝落ちし、目覚めたときは飛行機はもう羽田に着陸寸前でした。

 というわけで、長々となりましたが、週末の北九州酔っ払い旅のご報告まで。小倉の店をご紹介いただきあらためて感謝申し上げます。

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