小石川日乗Hatena版

おっさんがよしなしごとを書き散らします

「七尾」というまちで

 能登半島のつけねにあたる石川県七尾市に出張があった。無理すれば東京に帰れなくはない時間だったが、金沢まで特急で出て、そこから北陸新幹線だと5時間近くかかる。泊まったほうが身体が楽だ。金沢泊という手もあったが、金沢は先月、これも出張で行ったばかりなので、今回は七尾に泊まることにした。翌日は土曜日だし……。

 初めての町である。七尾については、近年人気の近世の画家・長谷川等伯の生誕の地、コンピュータ・ディスプレイ製造の「ナナオ」(現・EIZO)の創業地、能登島を抱く七尾湾にはいい魚と海老が上がり、近世には北前貿易で栄えた──というぐらいの雑駁な知識しかなかったのだけれど、いやあ、これはこれは……。

 ここには私の琴線に触れる、いい街並みがあり、すてきな人々がいた。

「一本杉通り」の建物たち

f:id:taa-chan:20170514083331j:plain  JR西日本の七尾駅に降り立つと、輪島塗(風の?)駅名標が華やかだ。加賀友禅と思われる美しい暖簾もかかっている。これが後で述べる「花嫁のれん」だった。

 駅前は無愛想で、けっして風情があるとはいえない。ところが、そこから10分ほど歩いたところにある、「一本杉通り」が素晴らしかった。

 かつては奥能登へと向かう街道で、そこにあった杉の大木は人々に「出会いの一本杉」と呼ばれ、 目印として親しまれていたという。

 この通りには、登録有形文化財に指定されるような、江戸期の雰囲気を残した明治から昭和初期にかけての腕木構造や土蔵造の古い商家がいくつも残る。古い商店のいわゆる看板建築も面白い。こういうものは意識して残さない限り、けっして残らないものである。

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 詳しくは知らないが、地元の人々が歴史を踏まえた新しい街づくりに取り組んだ成果でもあるようだ。

 一本杉通りで最も美しい商店建築といえば、この「しら井」ではなかろうか。創業80年。北前貿易に淵源をもつ、昆布、わかめなどの海産物加工品を製造販売する。金沢市にも店を出している。いくつかお土産を買った。

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f:id:taa-chan:20170514083316j:plain「北島屋茶店」は、明治38年の大火を逃れた数少ない建築物。もとは廻船問屋の別宅だったという。

 一本杉通りから少し離れたところに「天平(てんぺい)」という銘柄の造り酒屋があった。

「かつては市内に十数軒、造り酒屋があったけれど、いま残るのはウチだけ」とおかみさんが話してくれた。三年もの、五年ものの古酒の利き酒をさせてもらい、お土産に三年ものを買った。

f:id:taa-chan:20170514083313j:plain  この「布施酒造」の土間にも、「花嫁のれん」が飾ってある。

「花嫁のれん」の由来

「花嫁のれん」とは、石川県を中心に北陸地方各地で見られる、婚礼に用いられる特別な暖簾またはそののれんを尊び用いる風習を言う。

幕末から明治時代にかけて、加賀藩の領地である加賀・能登・越中の地域で行われた。平成時代に入っては石川県能登地方の観光資源としても扱われており、地域で受け継がれた花嫁のれんの展示会やこれを使用した花嫁道中などの観光イベントが行われ、「花嫁のれん」の語は七尾市の一本杉通り振興会によって商標登録されている。

花嫁のれん - Wikipedia

花嫁のれんの色や柄には時代ごとに流行り廃りがあり、麻や綿のものも見られるが、多くは絹で加賀友禅の手法が用いられ、これもこの伝統技術が継承された一因といわれる。一本杉を中心にゴールデンウィークをはさんで二週間ほど、百数十枚の花嫁のれんが飾られ、花嫁道中も行われる。全国でもここにしかないイベントとして、観光客の評判も高い。

花嫁のれん展公式サイト《花嫁のれんとは?》|一本杉通りで開催されるイベント情報&花嫁のれんギャラリー(石川県七尾市)

 というわけである。

 私には加賀友禅の良さを語るほどの知識も美的センスもないが、婚礼儀式に一度使われたあとは箪笥にしまわれてしまう暖簾を、こうして年に一度、商店ディスプレイの一環として、あるいは観光客呼び込みの目玉に使うというのは、いいアイデアだと思う。

「語り部」たちの話は尽きず

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 「御菓子処 花月」という店で抹茶と和菓子をいただいていたら、おかみさんが待ってましたとばかりに、「花嫁のれん」イベントの来歴や店の歴史を語り始める。その話は、全国菓子博覧会から、世界的に有名になった地元出身のパティシエ・辻口博啓氏の裏話まで、何十分も、尽きることがない。

 それもそのはずで、一本杉通りにはいくつか「語り部」がいる店があって、観光客に向けて茶菓をふるまいながら、街の歴史を語る試みが行われているのだという。まあ、話し好きでないと務まらない職務ではあるけれど。

「花月」のおかさみさんの話によれば、七尾の「花嫁のれん」を世に広めるのに一役買ったのが、作家の森まゆみさん。地元の人には当たり前の古くからの習慣に、他所の町にはない得がたい魅力を見出した。「谷根千」のまちづくりで培った独特の視点とノウハウが背景にはあったのだろう。彼女は町の人々と協力し、『出会いの一本杉』という聞き書きをまとめた。格好の七尾のガイドブックにもなっているという。

 ただ、語り部たちの聞き書きのことを知ったのは帰京してから。ぜひ読んでみたいが、東京の能登観光案内所のようなところで手に入るだろうか。

古い船には新しい水夫が

 一本杉通りでは古い商家が古い商売をそのまま続けているだけではない。古い町屋の構造を活かしながら、ディスプレイを変えたり、内部をリノベートして新しい商売を始めたりした店もいくつかあった。伝統を新しいものとして見せる工夫が凝らされている。

 左の写真は、いまも土壁の糀室や杉桶のもろみ蔵などをもつ「鳥居醤油店」に並ぶ醬油差し。

 醬油よりもむしろこの器が欲しいなと思ったが、「ごめんなさい。私の個人的なコレクションなので、売り物ではないんですよ」とおかみ。

 「歩らり」という店では古い豆皿を2枚ほど買った。もともとは万年筆店だった建物で、2階の窓の意匠がペン先を模している。リノベ後は暮らしの雑貨店と銘打って、新旧の陶器やガラスの器や生活雑器、ケーキなどが、量もほどほどにセンスよく並べられている。奥座敷はお洒落なカフェになっていて、大人の女性とどこかの子供が話をしている。

「そう、パリがいいの? あなた、フランス語も話すのね」──話し手たちの顔は見えないが、そんな会話の断片が聞き取れる。

 Humbert Humbert の「おなじ話」という曲がよく似合うような店だ。東京に戻ってきて調べたら、Facebook でさり気なく店の日常を発信している。


 七尾は、今は製造元は一軒のみらしいが、「和ろうそく」の産地としても知られている(いた)らしい。

 和ろうそくの原料はハゼノキ。その果実から木蠟を採取する。しかし、ハゼノキは能登では取れない。四国の原料をここに運んだのも北前船。能登の湿気がろうそくの生産に向いていたし、なにより七尾は浄土真宗を主体とする寺町なので、需要も多かったのだと、店の若い女性が話してくれた。

 その「高澤ろうそく店」の中庭。雨露を湛えた緑の向こう、奥座敷の入口に花嫁のれんが飾ってある。壮大な山車が繰り出す「青柏祭」の賑わいも消え、静けさが戻ってきた七尾の街の、一幅の絵のような瞬間。

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「いしり」の豊かな食文化に触れる

 小雨けぶるなか、一本杉通りをいきつもどりつずいぶん歩いたら、腹がへってきた。昼食は、街並みを堀のようにつないで七尾湾に注ぐ御祓川(みそぎがわ)沿いにある「まいもん処 いしり亭」というところでいただくことにした。能登地方ならではの魚醤油「いしり」料理の専門店。庭にしつらえた釜戸で炊く能登米のご飯以外は、すべて「いしり」で味付けしているという。マイルドな塩加減と香味豊かなおばんざい風のランチだ。

 この店の人も、たんに料理を提供するだけでなく、問えば「いしり」と、能登の食文化のことを語ってくれる。

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 七尾市は人口約5万5000人。高齢化と若者の流出はここでも顕著ではある。しかしそれを座視するのではなく、地域資源を発掘し、再構築し、魅力的に発信することに力を注ぐ人々がいる。

 その静かだけれども強い意志と、知的なふるまいは──もちろん前夜のお寿司もうまかったのだが、私にとって最高のご馳走だった。

 金沢のような大きな町に宿をとらなくて、大正解だったの巻である。

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