小石川日乗Hatena版

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中世日本の予言書

中世日本の予言書―“未来記”を読む (岩波新書)

中世日本の予言書―“未来記”を読む (岩波新書)

 興味アルアル。

 著者には下記の著作もあり、

『野馬台詩』の謎―歴史叙述としての未来記

『野馬台詩』の謎―歴史叙述としての未来記

 それを紹介するAmazonの【著者からのコメント】ではこう書いている。

中世フランスのノストラダムスが第二次世界大戦や世界の終末を予言していたという、難解な予言詩がはやったことがありました.しかし、このような予言書は、古来よりヨーロッパのみならず、アジアの中国や日本にもあったのです.日本では、聖徳太子の書いたという未来記が特に有名ですが、それよりも古く、日本の終末を予言したとされる『野馬台詩』がありました.漢字を5字ずつ24句連ねただけの短い詩ですが、この詩をめぐっていろんな解釈や物語、説話が生み出されました.本書はこの『野馬台詩』が中国から日本にどのように伝わり、どのように読まれ、どう影響を及ぼしたかを、時代ごとに追究してみたものです.

 『野馬台詩』それ自体は寓意に満ちた短い詩にすぎませんが、それを読む人が「やまと」(日本の古称)の由来を示すのだとか、天皇百代で日本は滅ぶのだとか、あれこれ注釈をつけていきました.その注釈をながめていくと、源平合戦や応仁の乱をはじめ、時代の転換にかかわる出来事が多く、日本の歴史が予言を通して語られていることが分かります.未来の予言が過去の日本の歴史を浮かびあがらせてしまう、そういう逆説的な歴史のとらえ方があったのです.歴史は教科書にみるような実証的な因果関係で書かれるものと思っている人が多いでしょうが、未来の予言を借りて歴史を説いたり書いたりする、時間を自在に行き来する方法があったのです.未来記は歴史を記述する方法が決してひとつではなく、実に豊かでさまざまにあったことを教えてくれるのです.

「未来の予言を借りて歴史を書く」というのはいったいどういうことだろうか。ずっと実証史学に慣れていて、それが当たり前だと思っていた私の頭に、この本は新しい刺激を与えてくれるかもしれない。

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