小石川日乗Hatena版

おっさんがよしなしごとを書き散らします

「沖縄ヘイト」の源流

 先日、LITERAに「百田尚樹だけじゃない! 櫻井よし子、八木秀次チャンネル桜つくる会…安倍首相のお仲間が沖縄ヘイトに大集結」という記事が載っていて、例えば

「沖縄の皆さんに、いったい日本を選ぶのか、それともチャンコロ、あ、失礼(会場笑)、それとも中国を選ぶのか、どちらかを選んでほしい」

 という加瀬英明(まだ生きてたのか!この親米右翼)の発言に驚愕・失笑したのだが、こうした「沖縄ヘイト」は実は今に始まった話ではなく、明治のころからあったものだ。

 「琉球処分」(1872年から1879年にかけて、旧来琉球諸島の施政を委任してきた中山王府を廃し、県を置いた施策)の過程を勉強しようとある本を読んでいたのだが、こんな文章に遭遇した。

 当時、日本の言論は政府の意図を正当化し、助長する論調が主流だった。1879(明治12)年1月10日付の「朝野新聞」は、琉球を奴隷と見なす蔑称を使って批判した。救国を訴える琉球人を「甚だしいかな。琉奴のわが日本帝国を蔑視するや」と罵倒し、「琉奴討つべし」との論陣を張った。

 廃琉置県直後の1879年4月17日付「かなよみ」新聞は、中国との朝貢関係に頼る琉球を「ばかさは甚だしい極点」と批判し、「頑固固陋の諭し難き」琉球人は「くそをたれた愚犬が飼い主の手をかむのと同じ」と見下した。

『沖縄の自己決定権』琉球新報社・新垣毅編著/高文研 2015年、P.87

 それにしても「くそをたれた愚犬が飼い主の手をかむのと同じ」とは、百田尚樹も真っ青の凄まじいヘイト・スピーチではないか。そうではあるけれど、これこそがまさに日本植民地主義の本音なのだ。それは、日本の安全保障のためにいま再び沖縄は「捨て石」になれと叫ぶ、現代の保守言論人のDNAにも深く刻まれている。


 いま、沖縄問題を考えるうえでは、あらためて「琉球処分」を歴史的に振り返ることが欠かせない。

 琉球は長年、日本と中国という両方の大国に形式上属しつつ、自主性を保ってきた王国だが、これを近代日本は「はっきりせえ」と武力をもって脅すわけだ。琉球処分には、当時の日本と中国(清)だけでなく、欧米列強の思惑がからんでおり、その過程で琉球王国の分割案も浮上する。

 日中交渉の仲介をとりもった米国の元大統領・グラントは「琉球諸島の境を分割し、太平洋に出られる広い海路を与えれば、清は(琉球処分を)承諾するだろう」と述べ、日本政府も1880(明治13)年4月には、中国内地での通商権を得る代わりに宮古八重山を中国に割譲する案を閣議決定するまでに至った。

 この「改約分島交渉」の詳細、その後の紆余曲折については触れないが、琉球が完全に国際政治の道具、駒として使われたのはたしかだ。この沖縄の「地位」というものは、アジア・太平洋戦争における悲惨な戦い、戦後の米軍支配、その後の日本への返還を経てもなお、本質的に変わりがないのだ。

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